どういう支援が欲しいか言うこと
本日更新の「ヒキポス」の記事より考えること。
ひきこもりの人はどういう支援がほしいか、言うと図々しい気がして言えない。すると支援する側とのミスマッチが起こり、双方が不幸だというお話です。
翻って自分が過食でどうにもならなかった時にどんな支援がほしかったかを考えてみます。
ある時期は「過食するのは仕方がない」と言われ、ある時期は「自分でも我慢してみることが必要」と言われ、でもどう頑張っても止まらない。努力が足りないのか、何が間違っているのか教えてほしいと思っていました。
もっとさかのぼって拒食の時期は、誰かに食べさせて欲しいと思ったこともありました。自分でどれだけ食べればいいのか考えることが苦痛でした。
今考えれば、拒食の時期は食事の管理を完全に他者に任せても良かったかもしれません。自分で選択の余地がないくらいに。
過食の時期は、「頑張っても努力しても症状は思うようにはならない」ということを教えてほしかったかな? 症状以外のところで努力が結果を生むことはありますが、多くのことは思うようにはならなくて当たり前、どうにかしようとしてできなかった失敗から学べということです。
みなさんはどんな支援が欲しいですか? 言うだけはタダなので言ってみましょう。
誰かが喜んで助けてくれるかも。