摂食障害を作品中で描くときのこと McElroy Alex
Alex McElroy の記事。The Atmospherians著者。ブルックリン。
摂食障害について表現するときの問題について語っている。
映画や書籍などさまざまな形で摂食障害が語られることが増えている。
どんなキャラクターを与えるか、どのような視点で描くか
ステレオタイプ化に寄与している可能性などについて。
かつて「Wasted」という回想録がベストセラーだった。
(著者 マーヤ・ホーンバッカー)
カロリー数や症状のカタログ化ともいうべき様相だった(?)
マーヤ・ホーンバッカーは回復したのであるが、人々に印象づけられたのは希望に関わる部分より、どのように病気が維持されるかであった。
Alexも最初はマーヤを真似たが(男らしさと身体醜形障害に関するエッセイ)、やがてそれは不健康なやり方であると気づき、書き方を変えた。
病気について一人称で語らず、親友の「声」を使う。
最近の著作では、どんな人が摂食障害になるかの概念を広げるだけでなく、その害についても注意深く選択。
他の著者キーセレイモンによる本では、食べ物とギャンブルについて描き、その行動について詳細に説明するのではなく感情に焦点を当てている。メリッサ・ブローダーの著作では、コロナと身体醜形障害との関連を描いているが、パージ(嘔吐、排出)シーンが繰り返され、再び古い罠に陥っている可能性がある。
ジェイミー・フッドの自己構築と性同一性に関するデビューコレクション「Howto Be a Good Girl:A Miscellany」は、摂食障害を平凡にすることで、これらの作品からわずかに逸脱している。
ラリッサ・ファムのエッセイコレクション「ポップソング:芸術と親密さの冒険」では、芸術批評のレンズを通して食欲不振と人種との関係を分析。
自己の客体化は、自己監視に陥るリスクがある。
Refinery29のウェブシリーズ、スキニー (ジェシーカーンワイラー)
カーンワイラーは自分自身を演じ、回復中の視聴者のために、彼女はトリガーシーンを含まずに身体醜形障害を持っているという感情的な経験を伝えている。
一つの作品ですべての視点をカバーすることはできないが、多くの新しい作家は、より責任ある描写が可能であり、さらにはより強力な芸術を生み出すことができる。
ジェシー・カーンワイラーの映像作品ページ