グッドハウスキーピング 記事

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ある女性の話「カトリックで育ち、罪悪感は第2の宗教であった。神に近づくために、飢えた聖人を偶像化することを学んだ。耽溺することは罪深いことであり、ダイエット食品は、精神修行に似たメッセージを伝えた。スパゲッティの代わりにサラダを食べることが道徳的なわけではないことを学ぶのに多くの時間がかかった。」

 

「ギルトフリー」「チートデイ」という言葉がひきおこすことについて

 

なぜ道徳的な言葉で食品について語るのか

 

成功、健康、道徳の頂点に「痩せていること」を置くダイエット文化。私たちの体が愛に値するために、身体から発せられる信号に従うことに罪悪感と不安を発達させる。

「私たちの体は、生命を刺激するため、食べると快楽化学物質ドーパミンを放出します。一方、罪悪感、不安、恐怖は、私たちの生存を脅かす状況に適応するために何百万年も前に進化した主要な感情です。今日の夕食に、過去の遺物であるそのような感情は必要ありません」

 

特定の食品に道徳的価値を置く言葉は、人々が食べ物に対する自分の体の反応を信用しないようにする行動や思考プロセスを奨励し、空腹のサインを無視する手段を与えます」

 

特定の食品が「良い」という考えであるほど、お金を食っているようなものとなる。マーケティング担当者は、食品に「ギルトフリー」(罪悪感なし)というラベルをつけて私たちの不適切な気持ちを利用し、食べることに何か間違ったことをしたように感じるべきという考えを強化する。TV画面の人のようでないなら、「あなたには何か問題がある」という考えをうえつける。

 

「夏の身体」「コロナ前の体重」といった言葉は、不安のメッセージとなる。常に節制することを意識し、楽しみをもって食べることに罪悪感を感じさせる。

 

「良い」食べ物や「悪い」食べ物といったものはない。 ある人はサラダ油・卵・酢・塩でマヨネーズを作る過程を知ることで、このことを理解した。

 

自分の身体に優しさと柔軟性をもつこと。ポテトがほしいかもしれないし、サラダがちょうどいいかもしれないが、どちらを選択することも問題ない。私たちが道徳的な言葉づかいにおちいっているときに、お互いに気づくのを助けること。

 

必要なら有害な言葉の多い場を避け、専門家に助けを求めること。

 

私たちの身体がどのように見えるかに関係なく、私たちはみな健康・幸福に値する。